第5話 病院内を右へ左へ~準備の始まり

入院、心臓手術にあたってのいろいろな書類

患者説明室へ

心臓血管外科での診察を終えて待合いスペースで5分ほど待っていると、医療事務の女性がやってきました。その日のうちに済ませておかなければならないことがたくさんあるようです。

入院と手術の説明、各種検査、入院手続き、歯科衛生士による歯のチェック、口腔外科の診察。

口腔外科?歯の診察?心臓なのに?

となるところなのでしょうが、その理由は既に知っていました。なにしろ前日までにググりまくっていましたから。(詳しくは別の回で)

入院の説明

このあとすぐに患者説明室で入院と手術についての説明です。

この説明は入院時に必要なもの、当日までの予定、病院の決まりごとなどの説明やこちら側の連絡先等の確認です。事務的な部分であって、病気そのものについてではありません。

ここでも30分近く待ったでしょうか、受付を挟んで診察室の反対側、ちょうど裏側の通路に位置する小部屋に呼ばれました。最近の大きな病院には必ずある患者やその家族に説明を行うための部屋です。

貫禄と安心感を感じさせるベテラン風の女性看護師の方に促されて部屋に入ると、何枚もの書類が用意されていました。

まずは私の連絡先等の確認です。自分の連絡先はもちろんのこと、緊急連絡先として何かあったときにすぐに連絡ができる人の連絡先が2つ必要でした。何もないのが一番なのですが、そこはやはり病院です。何かあるのも日常なのです。

私はここ10年ほど家族の付き添いで病院へ行くことも多く、まさにこの何かあったときの連絡先に自分の携帯の番号をいつも書いていました。そして、実際に「何かあった」ときの電話も何度か受けたことがあります。それに最悪の事態の場合もこの電話番号が使われるのですよね。たかが連絡先ですが、その重い意味も持つ番号です。いざ自分が患者側に立ってみてちょっとピリッとしました。

付き添いの問題

当然連絡先の優先順位としては家族の名前となるのでしょうが、その流れの中で、看護士さんからある質問とお願いがありました。

入院日と手術当日、付き添いが必要であるが誰が来られるか?

ごくありふれたこの問いかけに、私は少し戸惑ってしまいました。

通常であれば同居の家族、配偶者、親、子供などにお願いすれば済む話なのでしょうが、私の場合はちょっと「はいそうですか」と二つ返事しづらい状況だったのです。

長らく実家を離れ、独身貴族として悠々自適に暮らしていた私は、父と祖母の介護のために故郷に戻りました。二人を見送った後は残された母と二人暮らしです。

その母は80の少し手前でまだ介護が必要なほど老いてはいませんが、すこし長い買い物に出かけると残りの半日はぐったりする程度には体力がありません。

また、先の二人を送って日が浅いこともあり、メンタル的に心配な部分もあったのです。

なので、ここで看護師から付き添いの話が出るまでは、私は一人で来て、一人で手術を受けて、一人で帰ろうと考えていました。そしてその事を看護師にも伝えました。

ところが、それでは困りますとのこと。なんとかなりませんかと。他の人はいませんかと。

ごめんなさい。母と2人実家暮らしの底辺で。いい年して妻も子供もいなくて。親戚ともうまくいってなくて疎遠で。ごめんねごめんね。

兄弟もいるにはいるのですが、やはり諸事情によりなかなか頼みにくい状況です。

何故一人じゃだめなのかとも思いましたが、考えてみれば当然か。先程行ったように「何かあったとき」に何かあった人だけだと残る人が誰もいない。病院もどうしていいか分からないですものね。

でも今の時代、本当に誰にも頼めない人って少なからずいるんではなかろうか。例えば高齢でパートナーが既に他界、子供たちは家庭を築いて遠方にいる、そんな人はどうすればよいのだろう。だってそういう人がいっぱいいるから孤独死事故物件なんていうのが後を絶たないわけで。そんな事を考えてしまいました。

同時にそれは今後その可能性を秘めた自分の将来への不安でもあるわけですけれど。

結局ここでは「考えときます」という返事に留まりました。結論先送りです。

その後は必要事項の確認です。

大人のオムツ

ICUで必要なもの、一般病棟で必要なもの。それをパンフレットを使って説明してくれました。パンフレットというか、なんか遠足のしおりみたいな冊子です。

「ICU入室のご案内」というタイトルが妙に違和感バリバリですよね。そんな旅行先のホテルみたいな言い方されてもという感じです。入室のご案内というか、否が応でも入れられてしまうのですよ。連れて行かれてしまうのですよ。

他には「心臓手術を受けられる患者様へ」という冊子。

このパンフレットを見ながら入院前に必要なものを準備することになります。

ここで、オムツを用意するように言われました。平オムツ(フラットタイプ)と前開きの紙オムツ。

前開きの紙オムツはこの10年ほど散々見て聞いて扱ってきたのですぐわかりました。介護などで使う大人用のオムツですね。フラットタイプの平オムツというのは馴染みがありません。するとサンプルを見せてくれました。

平オムツ リフレ フラットタイプ レギュラー
リフレ フラットタイプ レギュラー

院内の売店で売っているということなので、後で分かるようにスマホで写真を撮っておいた。このときの説明にはなかったのだけれど、渡された入院の説明書きにはフラットタイプは術後の傷口の処置に使うと書いてありました。股間に当てて使用するのではなさそうです。そのため、通常の前開きの紙オムツを別に1枚用意してくれということらしい。

術後に動けない間だけとはいえオムツです。軽く自尊心破壊アイテムですよね。オムツ。オツムがやられるオムツ。

余談ですが大人になって初めてというわけでもありません。いえいえ、妙な遊びではありません。

先に書きましたが介護をしているとオムツにふれる機会は多いです。毎日のようにオムツを扱っていれば「どんな感じなのだろう」と思っても不思議ではないじゃないですか。穿きましたよね、当然。その時は前開きではなくてパンツタイプでしたけど。さらに試みましたよ、排尿。出ませんでしたけど。何でしょう?無意識の自問自答が強固なストッパーになったのでしょうか。

「してもいいのか?おれ、してもいいのか?」

オムツの中でしようとしても全然出やしませんでした。

話がそれてますね、それ以来のオムツです。

こういった説明を、「療養支援計画書」という書類にチェックを入れながらしていきます。一部形式的な部分もありますが、入院中はこのような治療を行いますよ。こういったサポートをしますよ。ということを一つずつ説明して頂きます。

療養支援計画書
療養支援計画書

このとき私が何を思っていたかというと、先程診察室で署名した入院前のPCR検査の同意書もそうだったんですが、

「なんて長いバーコードなんだろう」でした。

入院とコロナ

その他入院中に必要なもの、ICU、一般病棟での過ごし方、手術の流れ、入院前の過ごし方等々の説明を受けました。

そしてもう一つ、この時期だけのものがあります。新型コロナです。COVID-19です。

基本的に入院中の面会は先述した「入院する時」「手術の前」以外は禁止です。

それに加えて、入院の1週間前にPCR検査がありました。この説明の時に検体採取用の器具、といってもただの小さなタッパーですが、それを渡されました。入院日の2日前にこのタッパーに唾液を採取して病院に提出します。ただ、今回の私の場合、土日を挟むために4日前の提出となります。

PCR検査論争は各所で散々やられているように、4日前のPCR検査で入院当日の非感染を担保できるわけでもないのですが、それでも何もやらないよりはよいのでしょう。

加えて、説明にはありませんでしたが、この日から入院日までは今まで以上に感染対策に気を配らなければいけないなと、気を引き締めました。

面会禁止にも、むしろ誰も来られない理由になって丁度いいかな、なんてすこし内向きな楽観視をしていました。久しぶりの一人の時間を楽しもうと。

介護の功名

「なにか質問はありますか?不安に思うようなことは?」

看護師さんがあらかたの説明を終えて聞いてきましたが、特にここで聞くこともなかったし、不安もあまり感じていませんでした。

「お仕事とかは大丈夫ですか?」

余計なお世話です。ありがたい心遣いです。

お仕事なんか12年前に介護離職して以来、内職に毛の生えた様な自営と非正規労働です。収入面での不安はありますが、予定のやりくりの面では自由度全開です。どうとでもなります。

「入院とか関係なく大丈夫じゃないので大丈夫です」

そんな皮肉めいた返事はおそらく通じなかったらしく「今、大変ですものね」と、コロナ禍の折り、お仕事が大変なのだろうと受け取られてしまいました。

もうそれでいいや。

あえて説明はしませんでした。

これでここでの作業は終わりです。

この十年ほどで病院、病棟は私にはとても馴染みの深いものになっていました。年に2~3回ほど、数日間の入院を繰り返す父の世話を毎回していたため、そのノウハウは完全に体に染み付いています。ICUにも行きました。

いざ自分が入院する番になっても、基本線はそんなにかわりません。病気の種類や病院によってローカルルールを少し変えれば対応できたのです。なんでも経験しておくものですね。思いもかけず役に立ちます。

結構な枚数になった説明書きを封筒に入れて部屋を出ます。

この後は検査、検査、&検査、そして入院予約に歯科受診です。

続く。