第14話 ICU

ICU

ただいま

目を覚ましたのが何時だったのか、手術室に入ってからどれくらいの時間が立っていたのか分かりません。

ベッドの正面に時計が掛けられていたのは随分後になって気が付きました。お昼はとうに回っていて夕方にはまだ早い、そんな時間帯だったのではないかと思います。

全身麻酔から覚めるというのは初めての経験ですが不思議な感覚です。眠るときと同じで「ウツラウツラ」という状態を挿みません。突然目覚めて、眠りに入る前と目覚めた瞬間が点と点で繋がります。助走なし。まるでマンガの1巻を読み終えた直後に5巻くらいから続きを読み始めたように時間が抜ける。以前にも同じ様な感覚は味わったことはあります。失神したときです。あのときの感覚と似ている。

だから、手術室で瞬きをしたらICUにいた感覚です。ただし妙なことに時間の経過を感じる部分もあるのですが、それはおそらく無意識のうちに状況判断して時間の感覚を補完しているだけなのではないかと思います。それほどまでに前後が一瞬の点で繋がりました。

目を覚ましてから今の自分が置かれている状況を判断するのには時間はかかりませんでした。手術が終わってICUにいるんだとすぐに理解することができました。この時点では手術が無事に済んだという感慨も特になし。漠然と状況を受け入れている感覚でした。あまり何も考えてはいなかったように思います。

ベッドの周囲には数人の医療スタッフが慌ただしく動いています。まだ手術の延長線上なのでしょうね、この時点では。この時に何か覚醒を確認するための何かをしたような気がするのですが、ごめんなさい、良く覚えていません。名前の確認をしたのか、手足の動作か、いずれにせよ、全身麻酔から、そして心停止からの覚醒ですから何らかの確認はしたはずなのですが、ちゃんと覚えていません。

意識ははっきりしていたと言いながら、覚えていないのはやはり少しボーッとしていたのでしょうか。

タコ足配管

起きた時点ではまだ身体中に管が入ったままでしたが、私がしっかりと目覚めたことを確認すると、何やら鼻と口の管をヅルヅルっと引き抜かれました。痛みは全然ありません。そして、鼻の穴に呼吸用の管を装着。

首にはまだ何か入ってます。カテーテル?点滴?点滴は左腕に刺さっているようなのでカテーテルかな?

そして、胸の右側からぶっとい血抜き用のドレーンが入っています。このドレーンがこの後一晩中私を苦しめることになります。

気管挿管すると喉に違和感の残る人も多いようですが、私は特に感じませんでした。ここは個人差なのでしょう。ただし声を出してみた時にちょっと変な感じが。微妙に自分の声が違う。声帯にちょっと影響が出たのでしょうか、いつも聞こえている声とは違いますが、ここには普段の自分の声を知っている人はいないので確認しようがありません。まあ、そんなこともあるよね、命と引換えならいいよねと思って気にしないことにしました。結果的には2週間ほどで元に戻りました。

陰部には尿道カテーテルが入っています。寝ている間トイレに行けませんので小便を外に出すための管ですね。寝ていたので見えませんでしたが、多分先には尿袋が付いているのでしょう。実はこれもお馴染みです。父は腹から尿道カテーテルが出ている人で尿袋と膀胱の洗浄は私の役目だったのですが、まさか早々に自分がカテーテル入れることになるとは思いませんでした。

笑顔の素敵な執刀医

この時点では身体のどこが痛いとか苦しいとかそういうものはありませんでした。

まわりでスタッフの方たちがせわしなく動いているのを感じながらしばらくぼーっとしていました。

「先生が来られましたよ」

声の方に視線を向けると、様子を診に来られたのでしょうか、執刀医の先生がベッドの足元の方からこちらを見ています。見ているのですが、何ということでしょう。ものすごい優しそうな笑顔でこちらを見ています。満面の笑み。仏様のような笑み。命を救って頂いた私の先入観を差し引いてもグッドスマイルカンパニー。

「ありがとうございました」

まだ弱々しい声でお礼を言うと、「うん、うん」という感じで笑顔のままうなずいた後、忙しい先生はすぐにどこかに行ってしまいました。

あの先生、あんな優しい顔で笑うんだなあ、失礼ながら少し驚くと同時に、その笑顔を見てやっと安心感に浸ることが出来ました。心底ホッとした覚えがあります。

結局その後は入院中は会わなかったし、退院後はやっぱり寡黙な外科医に戻っていましたが。

今度は別の看護師さんが何やら丸いタッパーのような容器を持って来ました。中には生肉が。

「これが切り取った左心耳ですよ」

私の心臓についていた左心耳でした。なんというか、血だらけの肉片。薄切り肉。多分あれを焼き肉の皿に並べておいたら何も疑わずに焼いてしまうでしょう。そんな感じ。部位的にはハツなのですが、左心耳の見た目はバラ肉のほうが近い。脂身はないけれど。

自分の心臓のかけらを生きてるうちに自分の目で直接見られるというのは誰でもできることではないだけに貴重な体験です。

私が見たのを確認すると「処分しますねえ~」とどこかに持っていってしまいました。

干し肉にして記念に部屋に飾っておきたい気もしたのですが、「あ、それください」というタイミングを逃してしまい、多分捨てられてしまいました。言えばもらえたのかな?どうだろ。

この日の主だったイベントはもうこれで終わりです。もちろん食事はまだ無理ですし後は朝まで休むだけ。ところがそれがとても長かった。ここから長い長い夜が始まります。

痛い長い気持ち悪い夜

夜のICU

とにかく横になっているしかやることがないのでじっとしているのですが、目が覚めてからというもの右胸が痛い。そしてその痛みはどんどん強さを増してきます。傷口ではありません。傷口は痛くない。いや、痛かったのかもしれませんが胸の痛みが強くて気にならない。心臓の位置ではありません。明らかに肺が痛い。肺かどうかは分からなくてもその位置、右肺のあたりが異常に痛い。息を吸うとより痛い。

途中熱と痛みで何度も吐き気が襲ってきます。こみ上げて来て慌ててナースコールを探すも手元にない。首も動かせない。困っているとたまたま看護師さんがやって来たのですが、そのときには吐き気はなし。一応看護師さんにそのことを伝えてナースコールを手元に置き直してもらいます。

ものの5分もしないうちに再びの吐き気。慌ててナースコールを押しますが間に合うかどうかという勢い。でもさすがICUの看護師さん。先程の話の流れでこちらに駆けてくる時にすでに嘔吐用のトレイを持ってきてくれました。食べてないので胃液だけですがしこたま吐く。

吐きながら「ごめんなさい」って言ってしまっている自分に気がついて、なんて小市民なんだろう、と改めて自覚。吐き気はその時に出すだけ出して治まりました。

吐く時にベッドを少し起こしてもらったんですが、その姿勢の方が少しだけ、ほんの少しだけ楽だったのでそのままにしてもらいました。だから朝まで上半身は少し起きてる状態。それでも少し時間が立つとまた先程と変わらない痛みに。結局朝まで一睡も出来ませんでした。

痛みは朝まで続きます。朝になって何故治まったかというと、ドレーンを抜いたからです。朝になって出血が止まっているということで、ドレーンをヅルヅルっと胸から引き抜きました。するとどうでしょう。嘘のように痛みが消えて楽になりました。

「肺に当たってたのかもしんないねえ」

なんて気楽に言われてしまいました。それが普通なのかどうなのか、よくあることなのかは知りませんが、とにかく痛みは止まりました。嘘のように快適です。もちろんまだ熱もありますし体力は削げ落ちているんですが、なにしろ一晩中痛かったので、それこそここでやっと「手術が終わった」という感覚になりました。

このときドレーンやら首のカテーテルやらいっぱい抜いたんですが、割と躊躇なくホントにヅルヅルっと引き抜くんですね。もっと慎重にスルリスルリと抜くんだと思ってました。

「力抜いてね~」つってズルっと。抜くときの痛みはなかったです。

この時点でやや熱がありますが、それも37度台後半くらい。なにしろ強烈な痛みから開放されたことが大きくて、快適さすら感じていました。

お引越し

この手術翌日は、ご飯を食べたら一般病棟に戻ることになっているようです。MICS(低侵襲手術)とはいえ早いですね。まあ患者数も多いですし、さして危険度も低い患者をICUに置いておくだけの余裕もないということでしょう。実際このあと一般病棟に移ってからも、いろんな患者が入っては出てをひっきりなしに繰り返していました。

少し元気になって、担当看護師や理学療法士の方と世間話なんかをしながら午前中を過ごします。

途中、理学療法士が「脚の運動しますよ~」

え?心臓手術した翌日ですよ。スパルタですね。

これもノウハウの蓄積なんでしょうね。動かせるところは動かしたほうが回復が早いということなのでしょう。随分描いていた心臓手術のイメージと違います。お腹切ったときなんか3日は動けなかったのに。やはり傷口が小さいということの影響はかなり大きいのでしょう。

理学療法士さんは小型のエアロバイクを持ってきてベッドの足元にドサッと置くと、私の足をペダルに固定します。

エルゴメーター Blender3D製
脚でコキコキするこんな機械です。

漕ぎます。漕ぎます。自転車漕ぎます。ベッドの上で自転車漕ぎます。何回だったかな?忘れてしまった。数十回くらい、そんなに多くもない。

「大丈夫そうですね」

これでおしまい。運動というほどのモノでもなかった。修理後の動作確認のようなものでした。

その後、いよいよ最後の管、お小水の管も抜きます。これもズルズルっと。痛くないです。気持ちよくもない。

お昼にはご飯も用意されています。もちろんお粥とちょっとしたおかず。何だったか忘れました。こういう事があるので早く書かないといけないですね。

このときに改めて思ったのは食事っていうのはものすごく体力を使う作業だということ。

食べ始めたときはそうでもなかったのですが、お粥を3分の1くらい食べ終えたくらいで食べるのがものすごくしんどくなってきました。食欲がないとか、お腹いっぱいとかの意味でのしんどいではありません。体力的に食べるのがしんどいのです。

「食べるって、疲れますね」

看護師さんに思わずいうと、「そうですよ」と笑顔で返されました。

結局半分くらい残しました。なにか小さいパックの飲み物ついてたような気がするな。それを飲んで終わり。

ひょっとしたら「食事ダイエット」とかやったら流行るんでないの?と良からぬことを思いつきました。

食べて食べて、脂肪を燃やそう!とかいうメチャクチャな理論のダイエットを始めたらビジネスになりそう。信じる人いるんじゃないかなと思いましたよ。やらないですけどね。

午後に一般病棟に移るということで、母に預けた貴重品を持ってきてもらわなければなりません。頼むまでもなく、看護師さんが電話をしてくれました。それも「貴重品を持ってきてくれ」という頼み方じゃなくて、「コロナで面会も出来ないので、部屋移動の時間を利用して顔を見に来てください」という気の利いた頼み方。

でもそれだと時間が限定されるし、足あるのかな?タクシー代もったいないな、なんて思ってましたがしょうがないね。

「奥さん、持ってきてくれるそうですよ」

「母です」

なんかフワッと変な空気になりました。あなたが思い込んでいただけでしょ。人にはそれぞれの事情ってものがあるのですよ。

13時を回る頃、ICUを後にします。さすがにベッドごと連れて行ってくれます。寝たまま移動。

ICUの出口で母が待っていてくれたので、荷物を受け取って挨拶。このときは本当に調子が良かったので調子が良いことを告げて再びバイバイ。1分もなかったんじゃないかな。廊下を通過する間だけだもの。どちらかというと家のことのほうが心配だけれども、余計なことは言わずにさよなら。また会う日まで。

2人部屋へ

入院日のように4人部屋に移るのかと思いきや、そうではなかった。回復具合によって段階があるのでしょうか、少し広めの2人部屋に入りました。

室内にトイレもなし。広い部屋にベッドが2つ。変な部屋。

どのみちまだ歩行許可も出ていないので横になっているだけです。でも現代人なのでとりあえず、スマホを手に取ろうとちょっとだけ立ち上がりますが、ああしんどい。やっぱり立つのしんどかったです。痛みとかじゃなくてしんどい。体力がない。手術って体力なくなるねえ。

でも考えてみれば前日に心臓切ってるのにものの数秒とはいえ立てるってすごいよね。

加えてまだ、点滴とパルスオキシメーターとホルター心電図が身体にくっついているので動きづらい。なんとかロッカーのカバンからスマホとタブレットと充電器、イヤホンだけ引っ張り出しました。

もうそれだけでクタクタになってしまったので、本当に少し眠りました。ただ、この後2日間ぐらいは熱も下がらずぐっすりは眠れず、常に半覚醒のような眠り方。夕方くらいに目が覚めて、なんとかツイッターにて生還報告。

温かい皆さんのいいねや返信をいただきます。

温かい言葉って本当に人を救うんだなということを改めて実感しました。本当ですよ。言葉をかけた側に深い意味はなくても、もらった側はとっても力になるのです。

僕も人に優しくしなきゃね。

その日はこれが精一杯でした。この時点では本当に辛かった。どこがどうとか具体的なことではなくて、身体が全部つらい。だるい。名古屋弁でいうと「えらい」どえらいえらい(訳:とってもしんどい)。

熱は37~38度。そんなに高温でもなかったです。

夕食も半分くらいしか食べられませんでした。テレビも見ません。見る気にもならない。

ずっと熟睡も出来ずウツラウツラしながら、ときどきスマホやタブレットをみながら再びの長い夜を過ごしました。